適応障害な夫のブログ

適応障害な夫と不登校の娘のブログです

久しぶりに死を考えた話

どうもお久しぶりです。

実に一カ月以上ぶりの投稿になりますが投稿できないほど弱っていたというわけではありません。むしろかなり回復していると思います。

知らぬ間にブログタイトルが変更されていたりアイコンが誰だよ状態に差し替えられているのには困惑しましたが。

まあ投稿が止まっていた理由としては

・代り映えのない日々で書くことが思いつかなかった

・閲覧数に一喜一憂するのに疲れた

・他に熱中できることができたから(ARKサバイバーやってます)

 

でも本当に久しぶりに死を考え、思うところも出来たので投稿しようと思います。

 

事の発端といえるのか分かりませんが8月に一カ月ぶりの精神科受診がありました。

僕はもう仕事してもいいかな?という気持ちが出てきていたので受診の際には病状証明書を記入してもらって、失業保険の延長解除及び就職活動に勤しむ予定でした。

しかし受診当日になって

脳を石の膜が覆っているような痛みと激しい倦怠感に襲われ、突然の不調もあり、医師の勧めもありあり病状証明書作成には至らず、安静期が続くこととなりました。

今にして思えば眠剤の副作用だったと思います。

 

その数日後に妻と揉めというよりは一方的に捲し立てられたのだが包括した内容としては

 

・仕事をしろと言っている話ではないが治ろうとする気概が見えない

 

まず最初に断っておくと僕は話し合いは好きだが感情のぶつけ合いは好きではない。

 

僕が午前2時ぐらいまで起きているのが腹ただしい、元の生活ルーチンに戻る気がない、昼寝てるなら夜寝ろ、私ばかり苦労している、といった内容だ。

とにかくさっさと寝ろという締めくくりだった

 

僕は元来夜型なので仕事していた時も午前2時ぐらいまで起きていて7時に起き出社して17時に定時退社、家事を行い22時ぐらいから趣味に勤しみ午前2時くらいに就寝という生活だった。

だから元の生活ルーチンがこれなんです

昼寝てる事があるのも眠くて寝てるのとはちょっと違うのだ。午前中の家事を済ませると午後の家事まで結構間が空く。正直暇である。じゃあなんか趣味でもするかって話にはなるが

隣の部屋で在宅ワークしてるのに堂々と遊ぶ気にはなれない 外はクソ暑いので毎日外で発散する気にはならないし結局それって家に居場所がないだけではないか?

 

ってわけで夕飯の仕込みまで何するでもない時間が無駄に多くなり漠然としていたら結果寝てたという話なのだ。

まあ結局のところ稼ぎのない奴は稼ぎある奴に怒られても何にも言い返せないのだ。そこを突かれるとぐうの音も出ないから。

妻の憤りも分かる

が逆の立場だった時に僕はそういった指摘はしなかった(たぶん)ので釈然としない気持ちもある。最終的に過去の鬱憤が炸裂しだしてもうどうにもならんと退避した。

ネットでよく見かける

主婦と夫の確執とはこういうものかと思いながら。

 

そんなに寝ろ寝ろいうなら夕飯の片付けも知ったこっちゃない。というか夕飯時に突然怒り出すからもう飯を食う気もでない。せっかく作ったけどもういらない。寝ると思い眠剤を口に放り込んで自室で横になった。

 

そしてここから僕は再び絶望に染まった

 

まあまあ悶々としながら寝転がる。不意に焦燥が強くなっていく。ふと、所持している薬の致死量を調べる。実は結構なストックがあるのだが全然足りなかった。

唐突に娘のことを考える。

俺が父親でごめんなさい

急にそんな発想が生まれてそこから全てに僕は懺悔した。

俺のような息子でごめんなさい俺が夫でごめんなさい生まれてきてごめんなさい

薬の作用が悪い方に刺さり体は金縛り、意識はあるが朦朧としていて、眠れない感覚だけが残りやがて悪夢とも幻覚とも判断できない状態に陥った。涙だけは止まらなかった。

僕は自身がゲームの世界に入り込んでしまったような映像を見ながら、一方で変に冷静に

俺めっちゃ壊れてないか?

と客観的に自分を別視点から眺めていた。そんな僕を発見した妻は僕がODをしたと勘違いし慌てていたがこっちは金縛り状態なのでしゃべることもできないのでどうしようもなかった。

 

無限に自己否定を繰り返しながら2時間程で金縛りはとけた。どこまで意識を保っていたのかは定かではないが、とにかく体は動く。

 

ここで僕が感じたのは違和感だった。

いやいやいくらなんでも自己否定しすぎではないか?何が悲しくてそこまで自分を追い詰める必要があるのか?

先ほど薬の致死量を調べたネットページを再び参照する。副作用を調べる。

 

ここで冒頭で触れた受診日の謎の体調不良につながり、あの時の異常も副作用によるものではないか?という考えに至る。

そのときの体調不良があって、僕はまだまだダメなのかもしれないと思っていたが単に副作用のせいとあれば話は別だ。皮肉なことに薬で内罰的になっていたからからこそ逆に自分の状態を鑑みることができたのだった。

なにより僕は憤っていた。

いくら稼ぎがないとはいえ家の事はやっているのにああも罵倒されるのは流石に理不尽ではないかと。

妻は僕が金縛り中に言い過ぎたと謝っていたし気持ちも分からんではないので妻を憎んでいるわけじゃない。

それはそれとして腹が立ったという感情はあるのだ。

ここ重要で適応障害にしろ鬱にしろ悪いのは全て自分であるという発想に飲まれがちがだが、

今の僕は自責するだけの思考ではなくなっているのだ。

 

俺だってやれることはやってるじゃないか!何が治ろうとする気概が見えないだ!お前はめんどくさい上司か何かか?何が望みなんだよ?仕事しろとは言わないしゲームすんなとも言わないけどってつまりどういう事よ。

もちろんこんなことを面と向かって言えばお互い水掛け論で収拾つかないので言わないけど金縛り解除時の僕はこんな感じでプンプンしていた。

そして思ったのだ。

圧倒的優位な立場から不明瞭な物言いされるのは癪に障る、と。

会社員時代にもこんなことはざらにあった。どう考えても理不尽な扱いをされても、上司だ先輩だという優位な立場から屈服させようとしてくる手合いはどこにでもいる。論理で破綻しそうになると立場を利用してゴリ押したり感情論で抑え込んだり無関係な過去の事柄を引き出してきてとにかくマウントとりたい奴。

妻とだって過去に何度もある。

 

そして冒頭にもあるように僕はその手のコミュニケーションが死ぬほど嫌いだ。

なんなら予期していた。いつか必ず僕が仕事をしてない事を理由に度を越した罵倒される日がくることも。なので医師や家族の勧めで療養するときも

「ぜってえいびられるじゃん」

と思っていまいち気乗りがしなかったのだ。

 

でも重ねて言うけどここまで回復できたのは家族のおかげなので感謝はしている。

 

まあ最終的な結論としては

わりと回復してると思うし妻の顔色伺ってオドオドするくらいなら仕事で外出た方がよっぽどマシじゃんである

 

なので明日は病状証明書を記入してもらって、その後はハロワで色々進めていこうと思う。

まあ動機の発端が家族の為!とかカッコいいもんじゃないが、結果的に社会復帰できてるならなんでもいいだろ。

振り返れば僕が道を切り開くときはいつだって怒りがあった。

どうしてこの職場はこんなに仕事がしにくいんだ。

どうしてこいつらはこの不便さを受け入れているんだ。

どうしてこいつらはミスが発生する原因が目の前にあるのにそれが分からないんだ。

どうしてこのオッサンは何のビジョンも示さないのになんとかしろばかりいうのか。

どうしてこんなに無駄な事ばかりして余計に残業ばかりしなきゃならんのだ。

 

クソむかつくから全部是正してやる

その結果が仕事につながった。だから怒りは僕の原動力だし

この数カ月は失った怒りを取り戻すためにあったのかもしれない(?)

 

まあなんとかなるでしょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

いい家族をもったよワシは

どうも僕です。

今日の晩御飯は妻に好物であるナスを用いた麻婆茄子。

好評なのはこれらのおかげ?

 

とまあ今日もお掃除したりお料理したり子供のゲロ掃除に勤しむ適応障害療養中なおじさんです。

しかし改めて自分の状況を鑑みると結構驚きます。

僕は現在ガチで無収入なのに生活ができているのです。それもさほど不自由なく。

僕は長年勤めた会社を転職で去り、転職先で適応障害になりました。その後短期間の休業を経て退職に至ったわけです。

短期間の休職期間でも傷病手当金は出たのですが、入社して間もないのに休職できただけでもある意味ラッキーですね。僕は普通に即退社だと思ってましたから・・・

実は元々いた会社でもメンタルダメージが蓄積していたのでどうせなら転職せずに休職してた方が休職期間も長く取れるし社会復帰もしやすかったんですけどね。

まあ今思うと逃避の為の転職だったのですが当時は実感なくそもそも休職制度があったのかわからんので今となってはただの結果論ですけどね。

その辺はこちらに詳細があるので聞かせろやという方は合わせてご照覧あれい

 

aimkbiz.net

ご照覧あれいと交戦してた頃はバリバリ仕事してたなあ(遠い目)

 

まあそんなわけで傷病手当ももらえる分は終わったし(たぶん)あとは失業手当となるのですが失業手当は求職するためのお金なので就労できない場合はもらえません。

病気等によって就労できない場合は「今は仕事できないけどいずれできるようになるまで待ってください」という意味で失業手当の申請期間延長をするわけです。要は申請を受け付けてくれる期間を延ばすためですね。給付期間が延びるわけじゃないんですよ。

 

というわけで僕は無収入です。

で、改めて思うんですよ。

恵まれてんなって

僕はたまたまパートナーの収入があるから今生きているんですが、これが独身だったらどうにか働くか生活保護を受給するしか選択肢ないです。あ、一応断っておきますけど僕は生活保護に偏見はないですよ。

正直なところ妻に甘えてないで「なんか気が乗らない」とか言ってる場合ではないのでは?という葛藤があります。

一方で主夫として生きるのもありなんじゃねえの?という気持ちもあります。

 

実際問題僕が家事をしないと我が家は他にやり手がいないのです。でも勘違いしないでくださいね。僕はそのことで妻に文句はないです。

ついでに夫婦間で家事の分量が偏ることについての是非はそれぞれのご家庭によって異なると思うのでここでは一般論ではなく僕の家庭の話をしますよ。

 

荒れそうな話題やからね!!

僕も共働きの頃は「俺ばかり掃除してるなぁ」と思ったこともありましたしそれで衝突したこともありました。でも妻だってやってくれるときはやってくれるし当時からして妻の年収は僕よりずっと多く、それに子供関係の事はしっかりやってくれてました。

チェックなどは苦手なのにです。なので当時の僕は視野が狭かったんです。家のことはなんでも自分がやっている気になって。クソ野郎ですね

なので当時の僕は離婚の危機を経てやっと妻のありがたみが分かりました。

今だってそうです。

転職して死体のような顔(妻談)をしている僕に「お金の事は心配しなくていいからしんどいなら辞めたら」と言ってくれたのは妻でした。

 

家族がいるから頑張れるってのは本当にそうです。例えば妻が無収入だったら、僕は辞めてる場合じゃないので仕事してたと思います。でも家族がいるならどんな困難でも乗り越えられるわけでもないんですよね。もし乗り越えられるなら一家心中とか家族を置いて自殺とか蒸発とかないはずだし。

ただ、家族がいるから今まで生きてこれました。

なのでなんやかんやあっても僕を支えてくれた妻が「今は無理をしないで家の事やっててくれるだけで助かる。仕事は回復してきたらバイトでもパートでもでいいのでは」と言ってくれるなら

僕も僕なりに妻を支えていこうと思いますし娘とも手を取り合って生きていこうと思います。

文章に起こすと思考がまとまってきてええのう。

娘の不登校の世話をすることが僕の快方にも繋がってますからねマジで。

送迎してるうちに自然と僕の生活リズムも安定しますし送迎=朝散歩にもなりますから。

 

人生なんてどうなるかわかりませんね。若いころの僕は、俺は結婚できるのか?子供?俺のような人間が子持ちに?とか考えてましたが今じゃ子持ち無職です。なんだそのパワーワード。でも葛藤しながらも生きてます。

 

今、僕が家族の為にもっとも考えるべきなのは明日のランチメニューです(そーなの?)

         …ゴマダレうどんとサラダと味玉にしようかな…

 

ここまで読んで頂きありがとうございました!みなさまのちょっとした隙間時間でも埋められていたらこれ幸いです。それではまた!

 

どうやらやりたいことしか続けられないようだ

どうも僕です。

今回も熱海旅行の話、じゃないです。おいおい話が違うじゃないかって話ですが仕方がないのです。

だって筆が乗らないんだもの

これが適応障害の一環なのか僕のそもそもの性質かは判断がつきません。

熱海旅行は楽しいものでしたしその時はこの気持ちを皆様に伝えたい思いがありました。

ただいざ書いてみると

ネット漁ればいくらでも見れる内容

にしか留まらない傾向になりどうにも筆が進まないという事態になりました。

 

ちなみにここまで書くのに3分程要してますが旅日記は同程度書くのに1時間ほどかかる始末

これまでのブログ内容も旅系以外はほぼ1時間もあればバババと作成できていたので(推敲を除いて)いかに進みが遅いかよくわかります。

しまいには一時間かけて少量の文をしたためたものの、「こんなん公式サイト見てもらったほうがええやん」で全サクする有様で投稿ペースが著しく下がっていました。

なまじ予告した手前「書かねば」という気持ちだけがあって結構しんどかったですね。

別に仕事じゃないのに自分で変な制限を掛けているあたり妙な感じがしますが・・・。

 

まあ纏めると

熱海は素晴らしい場所でしたが「その時に伝えたい事」を言葉でまくしたてる僕のやり方で熱海の素晴らしさをお伝えするには時間が立ちすぎて熱が冷えてしまった、というところでしょうか。熱海は最高だったのでまた気が向いたら記事にしたいですね。

 

 

僕は少なくとも病気になる以前は「面倒ごとは率先して片づける」タイプでした。

社員の誰もまともに取り組まない課題を一人だけ即クリアしていたり。

それは真面目というかは「後になって自分のペースで取り組めなくなるのが嫌」という気持ちの表れで厄介毎は素早く解決したほうが楽ではないの精神で迅速に処理していました。

今は正直億劫な気持ちが強いです

例えば明日なんかは書類が揃ったのでハロワに雇用保険の延長を申請するのですが

怠い。郵送でもいいのですが内容の不備で返されたりするとか考えるとなお怠いので出向きます。

 

ちょっと気が乗らない旅記事の更新ができない。

やらなければならない手続きの気が乗らない(行くけど)

なんだが気持ちが入らないことへの忌避が以前より強い気がします。

家事なんかはもともと好きなのでこなしていますしゲームは言わずもがな。

適応障害の症状のひとつに

今まで楽しかったことができなくなる

というのがありますので寛解には向かっているとは思いますが

まだまだ昔の自分には戻れない

という現実がそこにありました。

 

現実といえば

ハッキリ言って僕は同じような症状で苦しんでいる人と比べたら死ぬほど恵まれていることを改めて知る

というのがあります。色々調べると家族に今後のことでどやされたり関係がうまくいかず苦しんでいる方が多いように見受けられます。

僕はというと、妻が高級取りなので直ちに生計のことで悩む心配はないですし、なんだったら僕が焦って仕事しようとすると止めてくれます。もちろん僕も寛解に向けて取り組む所存ですが追い立てられない環境をくれる家族というのはありがたいものです。

離婚せんでよかった(過去に危機あり)

そしてそういうパートナーを見つけた

俺gj(はぁ?)

 

 

でも離婚切り出したの自分からだから全然gjじゃないじゃん

 とまあここまで作成時間は1時間程でした。やはりその時の自分の心情をつらつらと綴る方が今の僕には向いているようですね。

家族に感謝はもちろんですが

皆様に閲覧していただくことやスターを頂けることが今の僕にとって大きな薬です。

 

なんかユーチューバーの動画の締めみたいだけど感謝って言葉にしないと伝わらないよね!

また!

 

熱海に来たぞ ①

どうも僕です。

この度なんと家族で熱海に旅行してきました!

論より証拠、はい!

 

熱海城が見てる

 

熱海は新幹線が通ってるのでアクセスが非常に良いですね。

新幹線で旅行気分を味わう間もなく着きました。

新幹線といえば太古の昔は全席でタバコが吸えたらしいのですが現在はこの部分だけです。

 

吸えるだけありがたいですね。2人入るとギュウギュウなので譲り合い精神が大切なのですが

しかし新横浜~小田原間ずっと居座ってる人もいるわけで

これだからヤニカスってのは(ブーメラン)

 

さて熱海駅は山の上にありまして、坂道に商店街があります。


賑わってるところの写真は人が入っちゃうので大変でやんす

坂道+アーケード街というのが非常に新鮮でしたね。ちょっと不思議な感じ。

通りには饅頭などの土産物から甘味などが並んでいます。

アーケードを抜けると五月みどり

ストレートな店名に驚きつつも坂道は続くよどこまでも

ちなみにこの「〇〇(芸能人名)の店」という形式のお店が他にいくつかありましたね。流行りかな(違う)。

さらに進むとドン!と街並みが広がっていよいよ旅行に来たぜ感も高まります。

街並みは老朽化した建造物も多いですね。駅前などはお洒落なレトロ昭和で離れるとザ・昭和って感覚になります。

熱海は商店街的な街並みが非常に多くどこもかしこも屋根がついた歩道がありお店が並んでいるのですがシャッターが閉じられたままなところも多くそこはかとなく物寂しい感じもありますね。

ちなみにストリップやファッションヘルスもありました。へへへ。

そして到着サンビーチ!

海です!このブログ海ネタが増えてきたな・・・

正直この日はそこまで暑くなかったので海中温度も結構ちめたい

妻子は寒い寒い言いながらも楽しく海水浴してましたが僕は海パンはあったものの着替えず半ズボンなので腿ぐらいまで海に入りました。

実は海よりプール派なので「私はいいから」と浜で寛ぐお母さん状態(お父さんだけど)

つめてー!

でも慣れるとやはり気持ちのいいもんです

なら入れや

ただ僕は海水浴終わった後の砂塗れの体をシャワーで洗ったりジメッたロッカールームで着替えるのがあんまり好きじゃないので許してクレメンス

 

そんなわけで海を見たり熱海城仏舎利塔を眺めりしながらゆったりとした時間が過ぎていきました。

からのー金色夜叉!!!

僕は金色夜叉は読んでませんが文学部文学科国文学専攻だったもので粗筋程度は知っており

俄然テンションが上がる

金持ちと浮気した彼女が彼氏にケエエ!されるワンシーンであるが

ポリコレが怒りそうと思ったらやはり過去にいざこざがあった模様。

 

この後、男側は「金や!愛も金で買えるんや!金が全てや!」と銭ゲバになってしまうんですが

銭ゲバといったらコレ

金がない為に全てを失った風太郎少年が次々と悪に手を染めて成り上がっていく壮絶な物語。

金がないと不幸になる。でも金があったら幸せなのか?愛とは何か?生きるってどういうことなの?はたして風太郎は幸せになる事ができるのでしょうか。

かなりえぐい描写があるので人は選ぶ作品ですが闇金ウシジマくんナニワ金融道ギャングースなどのダークな漫画が好きな方にはお勧めです。

 

とまあ文化遺産とかが好きな僕はニッコニコですが妻子はあまりこういうのは興味がない方なのでだいぶ温度差があったり・・・

ホテルへ向かう道中もバブルの名残と思しき廃墟がちらほら

たくさんの人が観光を楽しんでいるサンビーチ沿いでも結構な数の廃屋や廃墟が残っていますね。まあ廃墟スキーな僕的には結構楽しいんですが。

そして

ウィスタリアンライフクラブ熱海

https://wlc-gs.com/atami/

に到着。

 

こちらリゾートマンションとホテルが合体したような作りで最上階が入口というちょっと変わった作りになってました。その為ちょっと坂を上りますが



景色は絶景ですな!

ホテルの喫煙場所から見た景色ですがすごい眺めです。初島も見えます。

ちょっと暗くなってきてますが・・・港全体も見えますね。

 

部屋は1階ですがそれでもこのオーシャンビュー


お部屋はかなり広いし、部屋の風呂でも温泉がでます。しかも原泉

通常の蛇口とは別に温泉蛇口がありますのでそこからお風呂に貯めれます。

フロントでも言付けされますし注意書きも書いてありますが

80℃の原泉がでるので温度も確かめずにドボン

はやめましょう。

僕は蛇口から出てくる温泉が熱くなるまでビビりながら見てましたが、しばらくすると凄い温度になってました。

大浴場もありましてこちらは火傷するような温度ではないです(当たり前)

まあそれでも熱めですが80℃を経験した僕の敵ではない。

熱海温泉の特徴なんでしょうが、しょっぱいですね。肌もツルツルになり昔から親しまれている熱海の温泉を堪能できて満足です。

 

ちなみに廊下は温泉があるからなのか空調のせいかちょっとムシムシして硫黄臭?がします。

素泊まりなのでご飯は外で食べましたが最上階のレストランはすごく景色がいいので次来るときはレストラン使ってもいいかもしれませんね。

 

またしても喫煙所からですが夜景が眩しいですね。中心部のホテルだとこれは拝めないので再び熱海に来る際もここも使おうかなと思います。

それにしても夜の海は怖い。ここから海側に目を向けると初島付近以外は

完全なる闇です

光もなくどこが海面かすら判別できない真っ黒な空間を見てると、まるでそこで世界が終わってしまっているような、飲み込まれるような感覚に陥ります。海上遭難なんて絶対したくない・・・

 

さて、夕飯を食べる為に街を散策しましたが素敵な出会いがいくつもありました。

すごい所にゴリラ・・・

アングルが何かを連想させます。

 

 

あっこれはスマートボール

ピンボールとパチンコが合体したようなやつですね。実物を見るのは初めて。

そしてご飯は

r.gnavi.co.jp

で頂きました。妻が以前に隣の店で食事したので今回はそちらのリピートに来たのですが待つのでこちらのお店にしました。

消去法のような選び方でなんだか申しわけない(?)ですが

超美味かった

マジで美味かった

 

僕は今まで、食べる前に写真をとる習慣がなかったので写真がなくてごめんなさい

料理が届いた途端にバクバク食べて、半分ぐらい食べたところで「あっ写真とってない」と気づきました。

まあ写真をとる暇もないぐらい食欲をそそられたってことです。はい。

 

頂いたお料理ですが、限定のアジ丼があるとのことで僕は即断で注文。

鮮やかな海藻?に彩られたアジ丼が着丼しました。あら汁とおしんこつき。

それにしてもアジの刺身ってこんなに綺麗な色だったの?

という驚きがありました。色味も触感も味も僕が今まで食べてきたアジとは一線を画していて思わず

 

今まで食べていたアジは一体・・・?

どこぞの京極さんのような感想が思わず飛び出すほどの衝撃でした

娘はお子様ランチを食べていましたが、こちらもラインナップが子供受けしやすいメニューでありそれでいて味は大人でもうなるような絶品さでした(ちょっとくれた)。

盛られたえびせんがインパクトも味も素晴らしく、フライやサーモンもとても美味かったです。

また子供用のあら汁はあらを取り除いてくれており、うれしい配慮が施されています。

妻は天丼やら色々、さらに鳥のから揚げも頼んでましたが頼み過ぎて瀕死

になっていたのでから揚げは僕と娘が頂きました。こちらもやたら巨大かつジューシー。

金目鯛や鱧のから揚げなど目も引くメニューが多々ありましたがもう満腹なので断念。

 

接客態度も丁寧でぜひまたリピートしたいお店でしたね。

席数はそれほど多くないので早めに行くか予約したほうが確実かもしれません。

 

ちなみに翌日は妻子と僕は別行動になったのですが

もう2人でリピートして模様

ぐぬう

 

というわけで熱海1日目終了!

といいつつもホテルでアイスを買って締めにしてたりして。

 

ビバ熱海!

もうちょっとだけ続くんじゃ

ここまで読んで頂きありがとうございました!まだ熱海編は続きますのでよかったらまた見てね!

ゴリラ!ゴリラ!ゴリラ!

 

 

 

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僕が適応障害に至った経緯

どうも僕です。

今もなお療養中の僕ですがせっかくなので僕の半生でも振り返ろうと思います。

 

すみません長いです。

 

大学を卒業した23歳から30歳を終えようとしている今に至るまで無職期間というのは今年を除けば1カ月以下程度でした。

最初に入社した会社は人材サービスの会社でしたが大量採用の新卒の大半は今でいう正社員派遣のような仕事で大半が様々な工場に出向していました。面接時に伺った自社の広告や営業の仕事に就けるものはホンの一握り。在籍が長くなっても変わらず、若干騙された感はありましたね。

当時は「なんで工場で働いてるんだ・・・」という気持ちが強かったです。

自社内でのパワハラは強くその結果後輩たちとも関係はよくなかったです。

例えば休日に呼び出されて説教とかもありましたね。

 

ただ僕の性質として

・なんでもキチッとやりとげないと気が済まない

・先の事まで考えないと逆に不安なので結果として不測の事態を未然に防ぐ

・攻撃性が強い

・自分の役割を果たす

という傾向があり、また新社会人特有の「社会人としての立ち振る舞いが身についていない時期」は人との折り合いがうまくいってない部分もありましたが徐々に改善されて行って

自覚は全くなかったのですが派遣先企業からはどこにも高評価だったようです

 

結果引き抜きに近い感じで派遣先企業に転職しました。もともと人材サービスの会社自体がリーマンショックの影響で壊滅的な感じで給料も驚異的に下降しており、上層部の施策も意味不明で退職者が後を絶たない状況でしたので引き抜きは大歓迎でした。

 

転職先は規模の大きなトラック部品の物流梱包会社で、巨大な鋼材をクレーンで運搬し梱包等をしていました。

僕の性質を見込まれてか派遣されている時点からほぼリーダー業務を任されておりベテランのおじさんに指示を出す羽目になりましたが持ち前の攻撃性の高さが作用したのか

結構オラオラな感じでコントロール

・部署全体の残業時間5時間短縮

・100人近い人数のなかで唯一全部署の仕事が一通りできる

自画自賛してもいいやろというチートっぷり

で自部署の仕事を片したら遅れてる部署の手伝い、更に次の部署へという感じであらゆる場所に存在していました。

しかしこれが良くなかった

 

言ってしまえばそれだけ人材に枯渇した会社であり厄介毎は全部僕に飛んでくるようになりました。問題のある人材も全て僕が面倒をみる羽目になりミスの許されない仕事も大量に抱えていました。

どうやらこの会社は使える人を潰れるまで使い込む傾向があり

・元敏腕工場長

・元敏腕開発長

・元敏腕作業リーダー

これらの方が一様にメンタルを壊して一般作業員として転属しており、僕もキャパの限界を超えていました。残業になる前に片づけてましたがとにかく密度が濃すぎる。

なにより能力がなくて人格にも問題のある人材をあてがっても仕事は僕がどうにかしてしまうので対人関係の負担が凄まじかったですね。

 

この会社は結構いましたが工場移転の際に在籍中に正社員として転職

 

このままでは他の人と同様潰れると思いやめましたが焦りで変な会社へ入社。

ここはだいぶヤバくて

「すいません今の会社2週間で穏便にやめるのは難しいので入社は1カ月待ってもらえたりしますか?」

「はあ?こっちは忙しいので人採ってるんだからっさとバックレて来いよ!」

 

やっば

 

入社後もパワハラどころではなくコンプラという概念もなく

・「休憩してろ」→「何休憩してんだそんな暇あるなら仕事覚えろ」(意味不明)

人がいる方向に硫酸の霧が飛んでくる

 

こんな場所でも持ち前のハングリー精神で

「そのうちこいつら全員俺の下につけたらぁ!見とけよ~」

でやってましたが薬品の影響で両足が爛れてしまい洒落にならないので退社。労災やん。

ここはハロワから紹介されたのですが辞めた旨を伝えると

「あの会社みんなすぐ辞めるんだよね…」

そういうのは先に教えてクレメンス

 

しかし共働きといえど結婚して子供もいるのでさっさと仕事したく次はコーヒー製造工場に正社員として転職。単に家から近かったから。

 

ここでは責任塗れだった以前の轍を踏まぬようやりすぎないようにしつつもコツコツやってました。リーダーは疲れるので幅を利かせてるベテランと仲良くしながら下で色々学んでいました。

ただこの方、気に入らない人間には容赦がないというか虐めるので…

結果在籍5年ほどの中堅社員がいびりからやる気をなくして退職、責任者ポジまで去ったので、結果僕はまたしても在籍1年で突然責任者でした。

だから早いって…

 

正直な所、長期に渡って責任者できる人っていうのは「サイコパス」気味な人が多いというのが実感です。

驚いた例として

ベテラン責任者「この部署は最低でも5人は必要なんだ。俺がいる限りそれを割るような真似はさせないからね」

僕「流石っす」

ベテラン責任者「俺、違うところの責任者になったからここは頼んだよ。ところで人員だけど異動先に人増やしたいからここは今後2人でやってくれ。やり方は任せた

 

 

僕「……は?」

 

その人は異動後は基本居眠りしてました

まあしばらく経過したのちに、ベテラン責任者の部署は人数過多で暇してるのにこちらは人数少なすぎて鬼激務という事態に対して

鬼の如く怒り狂い

かろうじて午前中だけとはいえ人数を増やしてもらいました。なめんなよ。

奇しくも主人公と同様に当時の僕も職場でキレ散らかしており

毛狩りじゃー毛狩り隊じゃー!! - あいみくワーママエンジニアと適応障害な夫のブログ

 

 

でもこういう図太い人じゃないと責任者なんて続かないとも思います。

僕も仕事を部下に任せることも多々ありますが

「あいつなんもしないで下の人間にやらせてるだけじゃん。あほくせーから辞めるわ」

ってなっては元も子もないので基本は矢面に立ちつつ部下の育成や仕事の進捗具合の確認、日程の調整などリーダーとしての仕事に従事してました。

僕には下にしんどい思いをさせてダラダラできる能力がないのです

 

結果として部下は今では立派に僕のやっていた責任者業務をしっかり果たしてくれるようになり在籍も長くなりました。

部下のマネジメントという面では僕はうまくやれたかなと思います。

ただ会社全体として

・部下のマネジメントに興味がないベテラン数人

・そのベテランの下でやる気をなくして辞める新人

という流れを覆すことは出来ませんでした。

 

僕の部署では退職者はゼロでしたが他部署では出入りが多かったです。

となると中堅層になった僕にまたしても仕事の雨あられです。他の中堅層は全滅しました。

上層部もベテラン勢に関しては諦めている節があり僕に依存してきます。

これでは以前と同じではないか

 

俺しらね!と振舞ってもその結果トラブル

なんでこのミスが起きることを防げなかった!

そっちこそ防げなかった癖に自分を棚に上げて何を言うのか…

 

なんでも自分でやろうとしなくても結局火の粉が降りかかるのでもうどないせえっちゅうねんという感じでした。

 

これは中小企業における大きな問題点でして

人を育成する気がないので育たない

人材の空洞化

残った人間に仕事の負荷が集中する。潰れる。

 

というのがあると思います。

 

僕も死んで楽になりたい気持ちが結構ありました

責任者になって仕事の視野が広がると品質管理の杜撰さや設備管理の雑さ等も見えるようになりさながら地雷原をあるいてる気分。

いつ重大トラブルやクレームが起きてもおかしくない現状がそこにありました。

 

したがってこの時点で僕はもう限界に近かったのでしょうね。

同業に正社員転職することで活路を探しましたが残念ながら転職先は元々いた会社の悪い部分を更に濃縮した問題点が多数ありました

 

頭を抱えた僕は

眩暈、過呼吸、動悸を起こし転倒しました。

このとき初めてストレスから身体に異常をきたす

 

突然の事態に退職。その後無収入の焦りから面接時の印象はかなり悪かった金属加工の会社に正社員入社。

実のところコーヒー会社では遣り甲斐自体はあり部下や同僚には恵まれていたので

あそこを去ってまでやりたかったことがこの金属加工の会社なの?でももう俺40前だしもうここで頑張るしか…

と現実と理想の板挟みになりました。

しかも入社後に判明しましたが、この金属加工の会社は精神を病んで休職・退職する人が後を絶たない危険な会社でした。

そういう意味では面接時に感じた印象は正しかったのです

 

案の定壮絶なパワハラ無茶ぶり、そして理想と現実の圧力から再び体に異常を来たし

流石に妙だと思い人生初の精神科へ

ここで適応障害が発覚しました

 

そして現在無職になった僕ですがこうして振り返ると

オレ、リーダー向いてないよね

サブリーダーが向いてると思いますわ。

コーヒー会社の時にベテランリーダーの下で右腕のままいられたら多少は違ったのかなとも思いますが。

退職する際に部下には

僕「周りを当てにするだけ損だぞ」

と伝えましたが案の定

元部下「誰もなんもしないじゃないっすか!よくこんな状況で何年も責任者続けられましたね!僕はもう無理かもしんないっす」

 

と悲痛なlineが来ました。ごめんね。

 

今後どうなるか全く未定な僕です。

仕事できるのか?何やったらいいんだろうか?そもそも仕事しないといけないのかな(えっ)?

今はただ、文章に思いを綴るだけ…

いつかきえるその日まで

 

長々と読んで頂きありがとうございました。拙い文章ですが少しでも皆様の琴線に触れるようなことがあればうれしいです。

皆様の人生に幸あらんことを願って。

川の先には必ず海があるんだよ

どうも僕です。

なにやら格言めいたタイトルから始まります本稿ですが

特に深い意味はなくそのままの意味です

えぇ…

 

そう文字通り川を伝って海を見てきました!自転車で!

対岸はたぶん東扇島。

それにしても首都高が邪魔でよく見えない

相変わらずの撮影センスのなさが露呈していますがこれには理由もありますのでその辺もおいおい語っていきます。

 

そもそも海といってもここはどこ?

こちらは大黒埠頭でございます。

鶴見川の果てが鶴見区生麦でしてそこからさらに突き進むと巨大な埋め立て地、大黒埠頭が存在します。

まあこの写真は大黒埠頭に繋がる橋からの光景なので厳密には大黒埠頭じゃないんですが

この画像上部にある高速道路が僕の写真に入ってる部分ですね。

大黒ふ頭 横浜市

ちなみに反対側はこんな感じでした。

 

チラッとしか見えてませんがコスモワールドの観覧車が見えますね。

ランドマークに至ってはそもそも写ってないという驚異のクオリティ

つまりこちらの写真の対岸が桜木町や石川町

 

桜木町はたまに遊びに行くし東扇島も仕事で一時行っていました。

しかし中間の大黒ふ頭は今まで来たことがありませんでしたが、今回は遂に(手前まで)到達しましたね。

今までは鶴見川の終点には何度か来てたものの、その先は初めてです。

 

 

なんか車がスゲー

調べたら車両ターミナルセンターらしいですね。

 

 

さらに先に行くと車好きに人気の大黒パーキングエリアもあります(行ったことない)。

この日は休日だったので橋で撮影中旧車會がブンブンしており音にびっくりする私。

もっと進むと釣り公園などもあるようですが残念ながら僕は釣りはやっておらず。

そもそもシンプルに海を見るなら山下公園大さん橋からの方が僕的には近いこともあり今後また来るかといわれると限りなく微妙に近いブルー

<p

 

というのもね

そもそもチャリでフラッと行くような距離じゃない

実は今回のお出かけは僕のよくある散策方法

当てもなくクロスバイクでプラプラする

の結果最終的に海についたのでめちゃめちゃあっちいったりこっちいったりしてました。

散々川沿いから離れて長時間散策した結果

正直ケツが限界でした

いや便じゃなくて痛くて

なんせ横浜は勾配が激しいので…

つまりもっと進めばもっといい景色だった可能性もあったのですがこの先の光景もよくわかってないしケツが限界だったので橋を終点にして帰ることにしました。

あと川の終点から埠頭までが思ってたより距離があったのも大きかったり。

こういうのがあると良いのですが完全ノープランの普段着出撃だったので

ケツも手も限界でしたねガハハ

風は涼しいもののやはり熱いので愛用のシャツシャワーが恋しくなりました。

 

この邪悪な顔をしたクマさんは現場仕事してた時も大変重宝してましたがあんまり見かけないんですよね。これが一番冷えて好きなのですが…

ただしふざけて股間近辺にかけるとズボン越しとはいえ多少悶絶するので注意しましょう

 

こちらは川沿いで目を引く森永工場です。

 

僕自身工場で働くことも幾度となくありましたしそれこそ大黒ふ頭の手前はでかい工場やプラント施設や物流センターがドカドカあるので大きい工場自体は他でも見れますが、

この工場は

もう見かける事のなくなった昭和生まれには懐かしいキャラが描かれているので好きです

田代まさしもぬーぼーも見なくなってしまいましたね…


www.youtube.com

 

道中他にもいろんなモノを見かけたのですがそもそも当初はチャリブラを

ブログネタにする気はなかったので画像が少なくてすいやせん。

 

ところでこれはあくまで客観的に見た感想ですが

やっぱ鶴見区にはいると多少雰囲気かわりますね。といっても僕は以前鶴見市場に住んでましたので懐かしくもあります。その際暮らしていくうえで治安が悪いと感じたことはないですね。

ただ厳つい人が多くなったり路上喫煙は見かけますが…

ちなみに僕もヤニカスですが喫煙所と自宅以外で吸うことはないので許してクレメンス

 

そして更に客観的な意見ですが

海から川沿いに進んで内陸に進んでいくたびにランニングしてる方も増えますけど

上半身裸の人多いねえ

僕は昼は日差しがきつすぎてランニング楽しーよりあっつい!が勝るので夜走るのですが

マッチョだろうとダルダルだろうと汗びちゃの男の裸はあんまりウエルカムではないので

僕は変わらず夜走る派でいきます!

 

でも夜ランナーはちゃんとライトつけてよね。ガチでぶつかりそうになるんで。

僕はこれですね。以前はズボンに引っ掛けるのを使ってましたが光量が弱いのと電池がボタンで面倒で変えました。

あと反射たすきもしてます。

あとは音楽も聴きたいのでスマホを持ち歩きたいですが僕はライトがアームバンドなのでスマホまでアームバンドもなんだしポーチはズレてくると邪魔なので

サイクルジャージの背中ポケットにスマホをいれて走っています。

 

今使ってるサイクルジャージのページが見つからなかったので実際に使ってる品物の写真も載せますね(背面)

こちらポッケが大きいので走るとスマホがちょっと動きます。僕はすぐ慣れましたが落ち着かない方もいらっしゃるかもしれません。まあ本来自転車用だし。

 

さて今回はいつになくアウトドアな内容でしたがいかかだったでしょうか?

基本インドアですけど外も楽しいよね。夏だし。

 

それではここまで読んで頂きありがとうございました。またね!

 

「不登校」からは卒業しました

どうも僕です。

めでたいことに娘は学校に通うようになりました。やったね

以前ブログ内でも語っていたように先生方と僕が面談をさせていただき今後の方針の話し合いの場を設けて頂いたのですが

学校側の提案として要約すると

「放課後に学校に来ることができるのであれば続けていきたい。『学校』という場に来ることだけでも意義がある。また教室に行くのが困難な児童の為に教室を1つ解放してるのでそちらにて過ごすことも可能」

とのこと

 

娘とのヒアリングでも細かいことはさておき

「みんながいる教室」に通う事に精神的負荷を感じており、逆に言えば「学校」そのもの自体は苦ではないとのこと。

というわけで早速翌日から娘の意思を尊重しつつ通学を開始しました。僕の送迎つき。

ただクラスの子とあうとなんやかんや聞かれるので学校始業時間よりちょっと遅らせての通学です。

やっぱりクラスメイトがずっと来てないと気になりますものね。

実際面談の為に学校へ向かう道中、クラスメイトのお子さんと何人かバッタリ出会ったのですが

「〇〇(あだ名)どうしたの?」

と尋ねられました。

あだ名あったんやなw

娘は普段ベラベラしゃべる癖にこういう時はモジモジしてまともに会話できていませんでしたが

どんな顔すればいいのかわからん状態なんでしょうね

ちょっとバツが悪いというか

ただ互いの接し方を見てもクラスの子と険悪とかそういう事は多分なさそうなのでその点はホッとしました。

 

 

ただ同じく道中でどこぞのマンションを指さして

「ここがワイに唾吐きかけた奴の家(意訳

)」

といっていたので

やっぱそこはすごい根に持ってますね(当たり前だ)

 

そんなわけで特別教室についた後はやはり緊張もあってか一時間で帰る宣言をし、僕も一時間後に迎えに行きました。

なお親父はその間に昼夕飯の買い物を急いで済ませた結果

盛大に腹を下して無駄にピンチでした

 

やっぱ正露丸が最強。くせぇけどこの匂いがキマルンデスヨ。

 

そしていざ教室に行ってみると娘は読書に勤しんでて全然余裕そうでした。

案ずるより産むがやすし

 

 

まあ僕は横山やすしさんのことはたいして存じてないんですがね

 

その後は土日を跨いで

そうドラゴンも跨いで通るリナ・インバース略して

ドラまた

の如く跨いで

 

月曜を迎えましたが既になれたもんで本日は昼まで学校に、今後は5時間目ぐらいまでいるそうです(本人談)

先生方も週1からでもいいので少しずつ来てくれれば…という感じだったので親含めて通学自体には意欲的な娘に驚いています。

このまま少しずつ(実際には結構な躍進ですが)見守っていけたらなと思います。

まあ僕も僕で自身が快方にむかうようがんば…がんばるってのもちょっと違うか…トライします!

 

トラァァァァィ!

まあ例によって

ネタに使う癖に視聴したことない上に『アゴなしゲンとオレ物語』のパロディのイメージしか知らないという体たらく

 

そう、あの浜崎あゆみも愛読してたアゴゲンですね

 

 

冒頭は真面目だったのにだんだんふざけてきてますね吾輩。

ブッブー コレデハイケマセンネ

 

さてそろそろ夕飯にしませう(唐突)

我が家は仕事人な妻に合わせて夕飯が時たま遅かったり

やっぱ食卓は家族で囲みたいよね!

今日作ったのはカジキの煮つけとコンソメスープです。簡単!

 

恐ろしくばえない上にテーブルが草臥れている事実に打ちのめされつつ本稿を終えます。

ここまで読んで頂きありがとうございました!またみてね。